動物病院で働いて

臨床8年目の獣医師の日々

「自分の家族や友人に、自分が働いている動物病院をすすめることができますか」

早朝、職場のトリマーからLINEがはいる。飼っている犬が吐きつづけ、夜間の動物病院を受診したという。診断は胃拡張。トリマーからは「手術が必要なら、その危険性は大きいのか」などの質問があったが、午前中に実家に近い動物病院にいって、そこで診察(あるいは必要なら手術)を受けるつもりらしい。

休職中の彼女は、自分のペットの病気で職場に再び「迷惑」をかけるのが申し訳ないとおもっているそうで、自分が働いている(僕が働いている)動物病院を受診するのに躊躇していた。

獣医師として、同僚として、これほどかなしい話はない。ペットの命がかかっている状況で、同僚がそのペットを私たちに預けたいとおもわないのであれば、いったい、他人である一般の飼い主さんがどうやって私たちを信頼できるだろう。

「自分の家族や友人に、自分が働いている動物病院をすすめることができますか」

私はすすめられる。でも、そのトリマーはどうおもっているのだろう。自分の休職で職場に迷惑をかけているとおもっているとしても、困ったときに、私たちを頼ってもらえないのは、自分たちの力不足だとおもう。そうおもわせている私たちのことを考えた。

私は来院するようすすめました。

今日は診察や手術が立て込んでいましたが、その犬の検査・手術を的確におこない、手術は無事に終了しました。手術前の私たちの診断は胃捻転。胃拡張なら内科的に対応できることが多いのですが、胃捻転は手術しかありません。胃と脾臓がねじれていました。

手術後の面会時、そのご家族と話しました。連れてきてありがとうございました、そう伝えました。もし他院を受診して、そこで手術をしていたら、スタッフの士気は下がったでしょう。士気をあげるために来院してもらったわけではありませんが、同僚から信頼されていないと感じたら、いまやる気に満ちている動物病院の雰囲気が落ち込んでいたのは間違いありません。

トリマーは普段、診療の現場とは心理的・物理的に離れたところで仕事をしています。そうした部分も、今回の出来事の一因だったかもしれません。

なにはともあれ、まずはその犬が助かることが第一です。胃捻転の術後死亡率は、いろいろな手術の中でも相当に高い。当分は気が抜けません。

 

 

ひさびさの連休でした

 

ひさびさに2連休。長男とずっといっしょにすごした休日でした。

休みといっても、いつ勤務先から電話が入るかわからない。スマホはバイブレーションにしているので、だいたい15分おきにスマホに着信がないかチェックする。慣れてしまえばそうしたことも気にならないが、心のどこかで、いつも病院のことを考えている。

だから、自分が休みの日であっても、午後の診察時間が終わった頃になると、「今日は電話が来なかったなあ」と一安心する。

たった2連休ですが、明日の出勤は少し気がひき締まる。何事もなかっただろうかと(もちろん、動物病院で何事もない、なんてことはありませんが)。

2連休のあとは、6連勤。子どもたちといっぱい遊ぶのは、1週間後になる。遠いなあ。

診療で大切なこと

僕が副院長をしている動物病院、そこの院長は僕が生まれる前から獣医師をやっている。最初は小さな動物病院を開業して、そこでは間に合わないほどの患者がやってきて、次に拡張移転して、それでも追いつかず、もっとおおきな病院を作って・・・そんなふうに飼い主の信頼を得てきたひとです。

ゆたかな経験から学ぶことは多い。院長からすると、臨床経験8年目の僕など、まだひよっこです。

そんなひよっこの僕がこのごろ考えるのは、基本的な診察がいかに大切かということです。普通にやれることを、普通にやる。それでもわからなければ、はじめてむずかしい病気を疑う。むずかしい検査のことを考える。まずは基本です。

教科書で学んだとおり、まずはしっかり飼い主から情報を引き出す。「いつから病気がはじまりましたか」「最初はどんな症状でしたか」。

次に入念に身体検査をする。この身体検査が一番大切。第13胸椎と第1腰椎を押して痛がったら、ふるえているのはここの痛みのせいかもしれないと気づける。腎臓の表面がごつごつしていれば、血液検査をする前に、腎臓病の可能性を考えることができる。あるいは散歩にいきたがらないのは、パッドになにかが突き刺さっているせいかもしれない。

これを読んだ方は、この程度の身体検査をおろそかにすることがあることに驚かれるかもしれません。でも、若手の獣医師はどうしても機械を使って検査をしがちで、身体検査を徹底していないことが目立ちます。そして、少し前の僕もそうでした。

「年齢は?」

「性別は?」

「避妊手術はしているの?」

こんな簡単な質問に即答できない獣医師もいます。まずは動物のことを知ること、みること、さわることです。

次に長引いている下痢なら、食事のことをピンポイントで聞いたり、糞便検査をしたり。セオリーにしたがって、対症療法をおこなう。2週間の治療に反応しなければ、ちょっとむずかしい病気かもしれないと考える。状態が悪ければ、2週間を待たずに超音波検査をしてもよい。

どんなにひどい下痢でも、基本的な手順はおなじ。でも、こうした単純な手順がごちゃごちゃになっているケースは決してまれではない。「食事のことは聞いた?」「薬はきちんとのめているのかな?」「体重は減っているの?」・・・手順を忘れて、最初に思いついた「この病気かもしれない」という考えにひきずられて、その病気を確定するためだけの検査をしたり、迷子のように治療をすることもある。

正直、僕もおなじような状態にまよいこむことがあって、そのときは基本に立ち返って、紙に「いままでの経緯」「おこなった検査と結果」などを書き連ねて、同僚の獣医師と議論をすることがあります。どうしても、自分の思い込みみたいなものは、ゼロにはできないからです。議論するときに意識するのは、まずは基本をとりこぼしていないかです。

 

病院には毎日のように、セカンドオピニオンを求める飼い主さんがいらっしゃいます。転院希望の方もいます。経過の長い症例もあって、一筋縄ではいかないかな、とおもうことも多々ありますが、どんなにむずかしそうな情報が問診票に書いてあっても(「4つの病院にかかったが、全然治らない」とか)、基本を守れば、こわいことはないと考えています。

 

月曜日の診療

忙しい土日とうってかわって、月曜日は診察がそれほど混み合わない。今日も診察件数はそれほどではありませんでしたが、1件1件が重い症例が多かった。生死の瀬戸際にいる猫がいま、病院に入院中です。

 胸の腫瘍、重度の貧血、糖尿病、排便障害、椎間板ヘルニア・・・いろいろな動物たちがやってきました。

 積極的な検査・治療をのぞむ飼い主がいたり、「もう年だから・・・」ということで簡単な治療だけを希望する方がいたり。

獣医師からすれば、この症状があったら、この病気が疑わしい、この検査、あの検査を順番にしていかないといけない・・・というようになりますが、科学的に正しい手順で検査・治療をすることが飼い主にとって正しいとはかぎらず、そのあたりは、この仕事のもっともむずかしい部分であり、もっとも大切な部分です。獣医学的な知識・情報だけでは、飼い主をしあわせにできません。このあたりの話は少し深すぎるので、いつか、自分の考えをまとめたいと考えています。

 

 

 

猫の咬み傷で苦しむベテラン看護師

同僚のベテラン看護師が、1週間前の猫の咬み傷で苦しんでいる。この猫は病院に来ると狂暴になるので、他院では獣医師が触ることもできない。

僕が働いている病院でも怒るには怒るが、しずかになだめながら、そっとそっと接していれば、それなりに猫を触ることはできる。1週間前の診察ではほぼ最後まで怒らせずに身体検査までできた。

その最後の最後、こちらの油断もあったろう、それまでじーっとしていた猫が口を開き、看護師の指に咬みついた。

その傷は爪に突きささり、看護師の指は変色して、ぱんぱんにはれあがった。痛みで十分に眠れない。仕方がないので外科を受診、医師は太い針で傷口に孔をあけ、膿を絞り出した。絞り出すが、なかなか出てこないので、ぎゅーっと力を込めてもっと絞ろうとする。激痛と脂汗。

それでも一向に化膿と激痛は改善しない。爪も変色したまま。昨日はメスで傷口を切りひらき、点滴で抗生物質を投与。より作用が強い痛み止めに変え、昨夜はやっと眠れるようになったそうで、上記の話をしながら、その看護師はとほほな表情をみせていました。

 どの仕事でもそうでしょうが、けがをすることは一番避けなければならないことです。仕事のパフォーマンスがさがる。なにより、動物病院のスタッフが動物に咬まれたり、ひっかかれたりするのは、私たちが動物の性格・行動・ハンドリングに熟知していないことを証明することであって、はずかしいことなのです。

まあ、そんなことよりも、だれだって痛いのは嫌ですから、怪我には重々気をつけているつもりではあります。怪我をした直後は「やっぱり油断してはいけないな」と反省するのですが、のどもとすぎれば・・・のように、時間がたてば、また油断する瞬間がやって来る。

 僕が最後に怪我をしたのは、猫のキックだっただろうか。猫のキックによる引っかき傷は、結構あとに残る。肌のきれいな看護師の腕に、長い傷が10cmも残っているのをみるのは気の毒なものです。

 ベテラン看護師は労災申請するのだろうか。職場でそういう申請をしたスタッフをみたことがない。そういう間違った「文化」も少しずつ改めないと、動物病院の労働環境は悪いままだろうとおもう。

 

「癌になった医師は化学療法を受けるのか」

日経メディカルオンライン版に「癌になった医師は化学療法を受けるのか」という記事があって、今日はそれに関連することを書きたいとおもいます。

 

 正確な情報は記事をご覧いただけるものとして、大森赤十字病院の佐々木槇第一外科部長の調査では、医師や薬剤師が癌患者になったときに、「胃癌の補助化学療法では10人に1人、進行・再発胃癌では実に4人に1人が化学療法に対して消極的に考えている」という。

ある病気について「こんな治療法がありますよ、ぜひ受けて下さいね」と言いながら、いざ自分がその病気になってみたら、自分はそれを選ばない、ということです。

 

この記事を読んで、それは十分にありえる話だとおもいました。一見すると、ひどい話に感じるかもしれませんが、どんな治療法も100%成功するわけではない。科学的証拠にとぼしい治療法もある。お金のかかり方もちがう。みな、価値観も異なる。だから、提案した治療法を全員が選ぶ必要もない。

 

ひるがって、僕の場合はどうだろう。僕が飼っている動物が、仮に以下の病気になったとしたら、次のような治療法は希望しない可能性が高い(それを選択する飼い主を否定するわけではありません。それは個々人の価値観や事情があってのもので、簡単に良し悪しを判定できるものではない)。

 

前立腺癌の外科的切除(術後におしっこを垂れ流す、痛みで苦しむ、手術をしなかった動物のほうが長生きして、飼い主といい時間を過ごせる、そんな場面を何度も目にしてきました)、完治不可能な呼吸器疾患と酸素ボックスのレンタル(酸素ボックスから出られないような呼吸状態。簡単に決断はできないが、安楽死は正当化されます)。

 

「先生が飼い主だとしたら、どうしますか?」

 

そういう質問をする方がいて、そのときには正直にこたえます(むしろ、そうした質問はありがたいです。お互い、正直なところを話し合うというのが、本当のインフォームドコンセントだとおもっています)。

 

結局のところ、佐々木医師がおっしゃっているように「患者(動物病院では飼い主)の希望にも耳を傾け、寄り添った治療」をすることが重要なのだ。当たり前の話です。

 

はじめまして:ブログ「動物病院で働いて 臨床8年目の獣医師の日々」

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 はじめまして。臨床8年目の獣医師です。

 

動物病院で働いていると「病気を治すってなんだろう」とか「いろいろな考え方の飼い主さんがいるなあ」とか、あるいは「命というものは・・・」など、日々の診療を通して、さまざまなことを考えます。

 

毎日、多いときには1日45頭ほどの動物を診療します。僕は総合医、つまりは何でもみる獣医師です。犬と猫、ときにうさぎや小鳥、フェレット、まれに亀。吐いている、下痢をしている、足をひきずっている、けいれんしている、目がみえない、かゆがっている、口が臭う、水を大量に飲む、体にできものができた・・・毎日、いろいろな病気を診療します。

手術は軟部外科だけをてがけます。

 

1日中、いろいろな飼い主さんの、いろいろなペットの、いろいろな病気をみる。毎日があっという間にすぎて、自分の勉強になったり、命について考えるヒントを得たりすることがあっても、記録にとどめないと、次の日には忘れることが多い。もったいないとおもう。

 

そこでブログに日々の出来事を書きのこすことにしました。僕はそれなりに大きい動物病院の副院長で、その病院の公式ブログを執筆しています。

ただ、あまり踏み込んだこととか、個人的な意見とかはなかなか書きづらいのが実際です。このブログではそうした立場を捨てて、動物病院で働いている獣医師がなにを考えているのか、動物の治療とはどういうものなのか、飼い主さんにも興味を持っていただけるような内容も書きたいと考えています。